凝集する過去 還弦主義8760時間

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平沢ソロのできるまで

 

introduction #1 ソロへの転換点

 



P-MODELからSoloへの転換というのは、かなり異質なものへの転換という衝撃を持って成されるべきだと思っていたわけです。
双方が裏切りあうかに見えるくらいの隔たりの中で、さてヒラサワはどこに居る? というようなな議論を残すくらいの客いじめというか客拒絶というか、そういう騒動を目指したわけです。
結果それでこそヒラサワ、あるいは完全に裏切られたという反応を期待していたんですが、まあそれなりに成功したおかげで今日までソロ活動を続けることができたと思っているわけです。
そのような客イジメを行う意図の一つとして大量消費を前提としたマーケットの中で時代の変遷とともに乗り物はどんどん変わって行くけど、運転しているのは常にヒラサワ、という事態を発見してもらえれば、私は以後ドライブを続けられるということですね。

なぜソロがあのようなスタイルに成り得たかということですが、これは少々長くなります。
生活に困窮している期間が非常に長かったわけです。
皮肉なことに最も貧乏だったのは最もTVに出る回数が多かった時代で、まだ業界の搾取構造がよく分かっていなかった頃です。
で、面が割れているのでバイトも出来ないという状態で、まあ、いろいろ有って面が割れても良いような仕事にありついていくわけです。
それがシンセサイザー教室の先生というわけです。
で、そういうことをしていると、徐々にいわゆる業界人とのコネが生まれてくるわけです。
で、最終的にCM音楽の制作という仕事をやるようになるわけです。
この時期、瀬に原は変えられないということで、どんなことでもやりました。

で、私が知り合ったプロデューサーというのが、ちょっと業界離れした人で、日頃つまらない音楽を扱っているためにヒラサワを使って鬱憤晴らしをしようとする傾向があったようで、CM音楽というのは元来マスコミに馴染まない個性は排除されるんですが、このプロデューサーはむしろヒラサワ節を面白がってCM界に混入させようとするわけです。
で、この頃にこのプロデューサーから様々なジャンルの曲作りを要求されたわけです。
それこそ演歌からオーケストラまでありとあらゆるジャンルをヒラサワ風に作れというわけです。
私は生活があったので出来ないとは言えずとにかくやりました。
このころ鍛えられたおかげでソロの下地が少しずつ出来上がって行ったというわけです。
なんでもありというスタイルですね。

ま、そんなこんなで1989年9月に『時空の水』という何でもありの最初のソロ・アルバムがリリースされたわけです。

 

introduction #2 エンジニアリング

 




ソロになったおかげで、バンドにつき物の様々なストレスが減ったわけですが、同時に制作環境のストレスも減らすことにも着手しなければならないと感じていました。
制作環境で最大のストレスとなるのは音楽業界そのもの環境ですが、まだその時点では現在のような環境を作るための準備も整っていないし、そもそもそれに替わるインフラも存在しません。
そこで手近なところから着手するわけですが、まず最初のアルバムを作るにあたって、レコード会社の移籍と本当に信頼できるレコーディング・エンジニアの採用を実現させました。

信頼できるレコーディング・エンジニアの採用というのは、その後の私の活動にとって非常に大きな意味を持っています。
もしも私が音楽業界に居て創作意欲を無くすことが在るとすれば、レコーディング・エンジニア問題というのはその原因の一つに成り得るからです。
エンジニアの存在というのは、音作りに直接関わるものであり、その結果がそのままリスナーに届くわけですから、非常に重要です。
例えそこに問題があっても隠すことはできません。

残念ながらソロ以前の10年間は常にエンジニアとの戦いで、私のような力の無いミュージシャンは低予算という制作環境の中でレコード会社の利害や予算的事情によって選ばれるエンジニアを受け入れるしかなく、かろうじて私の指名するエンジニアが採用されたと しても、全てのプロセスを担当してもらえるわけではなく、最低限音録りの段階までという結果を受け入れるしかありませんでした。
幸い10年も業界にいれば他のアーティストのプロデュースなどの仕事で良きエンジニアと知り合う機会もあり、レコード会社移籍のドサクサで私が指名したエンジニアを起用するという制作環境を作り上げてしまうことができました。

さて、準備が整ったところでいよいよソロ第1弾のレコーディングが始まるわけですが、スタートした瞬間エンジニアとの連携はよく、満足のいく結果が次々に出されてゆきました。
その後制作環境が改善され、作業効率が増して行くに従い、当時所属していた事務所のマネージメントによってスケジュールがどんどん過密化して行ったわけです。
当時私が1年間の間スタジオに居た時間を合計ると、1日10時間として365日の間休みなくスタジオで暮らしていたことになります。

しかし、この頃こなしたある仕事がその後のソロ・サウンドの骨格をより頑丈に補強することになります。
それが『デトネイター・オーガン』のサウンドトラックです。

あるアニメ業界のプロデューサーが居まして、この人がまた果てしなく業界離れした人なのですが、ある日、今までのアニメのサウンドトラックのイメージを払拭したいということで私に作曲を依頼してきました。
私は何よりもその人のキャラクターに惹かれ、「この人と仕事したい」という気持ちからサウンドトラックの制作を引き受けました。

ちなみにそのプロデューサーは非常に物静かな人で小さな声で話します。
彼はがりがりに痩せて顔面蒼白、黒いマントを着て英国風の中折れ帽子を深々とかぶり、映画『未来世紀ブラジル』にも登場するメッサー・シュミットという不気味な三輪車に乗って現れます。
まるであの世から運命を告げに来る使者のようで、彼の周りにはいつも霧がかかっているかのように見えます。

「好き勝手にやってください」という彼の唯一の要望に答えて出来上がったのが『デトネイター・オーガン』のサウンドトラックです。
今まで自分の作品では遠慮がちだったこの手のアレンジから遠慮を外し、手持ちの機材だけで「なにもそこまで」といわれるくらいの姿に仕上げられるかどうか、ということが曲つくりの一つの課題でした。

結果、僅か16トラックのシーケンサーで作られた曲にプロデューサーも私自身も満足し、その成果は以後ある種の余裕となって現在までソロの曲作りの深部に根付いています。

 

introduction #3 SOLO LIVEの方法

 




さて、作品のスタイルができあがり、制作環境が改善された後にやって来たのがライブについての問題です。
正直なところ、私はソロ作品を創るにあたってライブのことは一切考えていませんでした。
というのは、ライブでの再現性を考えていてはP-MODELからソロへの飛躍的な転換の足かせになると思ったからです。
ライブについてはアルバムができあがってから考えれば良いという、非常に楽観的な態度でした。

ですが、当時としては贅沢な36トラックのデジタルレコーダーを2台連動させ、72トラックをフルに使うような大きな編成の曲をライブでどう再現するかは難問でした。
元来私は大所帯のバンドは好きでなく、最低限4人の編成でソロの楽曲を再現し、私はできれば歌に専念できるような状態を創りたいと思っていました。

そこで誰でも思いつく最も安易で確実と思われる方法として4人の手足では間に合わない演奏パートを機械にやらせるという方法をまず試すことにしました。

しかし、この方法は実際にやってみると非常に大変であることが分かります。
多くの楽器の音量や音質のバランスとスタジオで完璧に調整したとしても、いざコンサート会場に入ると、全く違うバランスになってしまうのです。
それは各会場固有の周波数特性のせいで、会場が変わるたびに全て調整し直さなくてはなりません。
更に、観客が会場に入れば再び特性が変わるため再調整が必要になります。
これに非常に多くの時間がかかるわけです。
更に、通常のバンドよりも遙かに多い音源をコントロールするために、ミキシングエンジニアはパニックになります。

そしてもう一つ。
機械で演奏されるパートは全て私が事前に演奏したものが再生されるわけですが、参加ミュージシャンによってリアルタイムで演奏されるパートは、演奏者固有のニュアンスが反映されることによって、それが曲全体のニュアンスに影響を与えてしまうことです。
たとえそれがどんなにテクニックのあるミュージシャンによって演奏されたものたどしても結果は同じです。
私はそこに非常に違和感を感じていました。

そこで、私は、ステージからミュージシャン無くしてしまうという方向でライブの方法を再検討しました。
その結果ヒラサワ以外の人間はステージには存在せず、音楽は全て私が打ち込んだものを機械が忠実演奏するという形を試すことにしたわけです。
個々の楽器のバランスは演奏する機械のオペレーターによって初期調整され、その後会場の音を聞きながらPAのミキシングエンジニアが再調整するという方法でエンジニアの負担も減らしました。

このような形式はライブの意味をまったく変えてしまいます。

しかし、それが何だというのでしょう。
私は打ち込み系のミュージシャンの中でも数少ない「声」を使えるミュージシャンです。
そこにヒラサワが居て、その肉声にライブのライブたる所以を集約させれば良いではないかと、開き直ったわけです。

それに加えて、新しい楽器として使われるようになったコンピューターの特質を生かして、バンドの生演奏によるライブに変わる
パフォーマンスの必然性を見つければ良いのだと思ったわけです。
その結果生まれたのがインタラクティブ・ライブです。

 

introduction #4 還弦主義宣言

 




ざっとソロ活動開始時からインタラクティブ・ライブまでの流れをお話してきましたが、その中には平沢ソロ・サウンドの形を決定付ける2人のプロデューサーが居た事がお分かりいただけたと思います。

彼らは、平沢ソロの楽曲のスタイルに直接関与したというわけではなく、平沢を好き勝手に泳がせながらヒラサワの手の内を拡張させるための様々な条件を作り出して行ったということです。
その結果、私が、出来ないと思っていた事や、まさか自分がやるとは思っていなかったような事を達成させて、私の引き出しの数を格段に増やしたということです。
そして、その集大成が平沢ソロ・サウンドであるということです。

とりわけ拡張された私の手の内で最もソロ・サウンドの特徴を決定付けているのは弦セクションのサウンドです。
主に電子音で構成されるコンパクトな曲にも、ほとんどの場合リアルな弦セクションが使われていて、ある種の空間的な広がりが持たせてあります。

ここで言う弦セクションというのは、オーケストラのストリングス・セクションのことです。
実はある程度の規模の弦というのはP-MODELでも使われていますが、それほどリアルなものではなく、ソロよりも控えめで、アレンジの複雑さも自粛しています。
むしろ他の楽器の背後に隠れ、隠し味的に一定の空間を作り出しているような役割を果たす程度に使われ方をしています。

ソロ作品では、それらの自粛が取り払われ、弦アレンジは前面に躍り出てきます。
P-MODELと違って、コンセプトや作り出す空間に制限が無いのがソロで、ストリングス・セクション独特の壮大で厳粛な空間こそがソロ・サウンドの特徴となっています。
それはソロの歌詞が求める空間やムードに馴染みやすく、また逆にストリングス・アレンジがもたらすムードが歌詞にある種の意味を与えるという効果にもなります。

一方、非常に地味ではありますが、P-MODELでは使われない弦がもう一つ、ソロ・サウンドの特徴として存在します。
それはクラッシック・ギターで使われるナイロン製の弦です。
ナイロン弦の素朴で、懐古的なサウンドはやはりソロの歌詞が求める、時間を遡るような感覚や空間に良く馴染みます。

このように、オーケストラのよりリアルな弦セクション、そしてリアルなナイロン弦、最近頻繁に使われるハープのようなアコースティックな弦楽器のサウンドは平沢ソロ的アレンジの中核を成すものです。
リアルな弦楽器と電子的に処理されたその他のサウンドの合体が平沢ソロ・サウンドの正体とも言えるでしょう。

さて、大変長らくお待たせいたしました。
ここでようやく凝集する過去 還弦主義8760時間の話です。

いったいこれは何なのかとお思いでしょうが、今までお話してきたことによって既にお気づきの方もいると思います。
私は過去にソーラー電源のみを使ってソロの楽曲をP-MODEL的アレンジでリメイクするという作業を行い、その過程を公開しました。

そして今回は還弦主義という一目瞭然のダジャレの元に、その反対をやろうという試みです。

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